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猟師と考える、山と鳥獣害④ 〜日本にシカが増えた訳〜

公開日:2020.2.25

シカは、今でこそ農作物に被害をもたらす野生獣として、捕獲の対象となっていますが、かつてはその捕獲が禁止され、保護対象になっていました。それが一気に生息数を増やし、農作物や果樹を喰い荒らすようになったのはなぜでしょう? 気になるイノシシとの関係は? 猟師として30年以上、伊豆半島の山と森を歩き続けてきた、株式会社森守代表取締役の黒田利貴男さんに、森と動物たちに起きた変化について教えていただきます。

ずっと保護されていたシカ

シカは今でこそ「有害鳥獣」と呼ばれ、狩猟や有害鳥獣捕獲の対象となっていますが、戦後間もない1948年から1994年まで、野生動物保護の観点から、ニホンジカの捕獲は制限されていました。

天城連山から流れ出る水はやがて海へたどり着く。

かつて伊豆半島では天城連山の国有林の中で、シカを保護していました。「鳥獣保護法」により、メスは捕獲禁止。オスは1日1頭と制限がかけられていて、猟師といえども自由に捕獲することはできませんでした。だから長い間狩猟対象はもっぱらイノシシだったのですが、既に80年代から山林や農地では、シカによる食害が出始めていたのです。我々山に入る猟師は「シカを撃たなければダメだ!」と訴えていたのに、対策が講じられることもなく、シカは保護され、イノシシばかりが捕獲される状況が続いていました。

囲いわなで捕獲されて移送用の檻に入れられたイノシシ。

当時は造林された森に人の手が入らず、ほぼ放置状態でした。そこは薄暗い藪となっていましたが、シカが増え始め、針葉樹の樹皮剥や下層植生の食害、山の上にある柑橘畑に被害が出ていました。しかし、当時の鳥獣保護法では、メスは捕獲禁止、オスジカは1日1頭しか捕獲できません。

そんな中、食用にシカを捕獲する密猟者も現れ、逮捕者が出るほど。冬の狩猟期間中に的確に捕獲していたら、こんなことは起きなかったはずです。しかし、当時の有害鳥獣捕獲は、わなではなく銃猟が中心だったので、巻狩りを行なうために多くの狩猟者が必要でした。また、当時一般住民は野生動物による被害=イノシシが原因という認識が強く、シカだとは気づいていませんでした。それもまた、かつて森に関わっていた人が森に入らなくなったことが、大きな要因でした。

箱わなを知らないイノシシたち

そもそもイノシシ、シカ、サルなどを捕獲するとお金が出るようになったのは、そんなに昔のことではなく、平成に入ってからです。また被害をもたらす鳥獣の種類や生息数、生息域は地域によって異なり、各自治体が条例を制定して、補助金の交付を始めた時期や金額もまちまちでした。

そんな流れの中で、私の住む南伊豆町では2001(平成13)年から、イノシシとサルについて報償金が出るようになりましたが、シカについてはゼロ。獣害に悩む自治体で補助金を使った報償金制度が生まれたのは、全国的に見てもこの頃だったと思います。

おのずとその担い手は、我々狩猟者になりますが、それまでは巻狩りで大物を狙う銃猟が中心で、わなによる捕獲は行っていませんでした。しかし、地域住民の畑が荒らされることが多くなると、だんだん「猟師がとらないからだ!」といわれるようになり、我々狩猟者への風当たりが強くなってきました。

静岡県の捕獲と目撃情報

当時は跳ね上げ式のバネで脚をくくる「くくりわな」が主流で、イノシシを群れごと一度に捕獲できる「箱わな」は、まだ普及していませんでしたが、私はいち早く箱わなを購入して有害鳥獣捕獲を始めました。1台13万円ぐらいだったと思います。おそらく賀茂郡内では、初めてのこと。当時の捕獲報償金は1頭あたり1万円でした。

イノシシは群れを作り、メスは子育てしやすい山にいます。そんな山を「メス山」と呼んでいました。そこへ箱わなを仕掛けると、当時は箱わなを知らないイノシシばかりだったので、面白いように獲れましたが、私はそれほどうれしくありませんでした。私は毎日山へ入るプロの猟師です。わなの購入などに資金もかかるし、通り道に仕掛けて捕まえるわなで動物を捕獲するのは、好きではありません。それより捕まえたイノシシをどうするかの方が、問題でした。

箱わなが嫌いなワケ

私自身、野生動物と人間の共生関係を守るのが、猟師の仕事だと考えています。だから、銃猟に出るときはできるだけ大きい個体を獲るようにしています。ところが、箱わなでは母親につられて小さな個体も入ってしまう。

一度わなに入った子どものイノシシを逃がしても、そこから生き伸びることはできません。捕まった直後から、何度も内側からオリに突進を繰り返し、脳震盪を起こしてしまっている。また、母親のイノシシも必死で暴れるうちに、子どもを傷つけていることも少なくないのです。だから私は、箱わなで動物を捕獲するのは好きじゃない。

私が大量にイノシシを捕獲していることが地域の人たちの耳に入り、あちこちから「捕まえてほしい」と頼まれるようになりました。なので、捕獲報償金をもらっては、新たに箱わなを購入して設置しました。それは捕獲により狩猟圧をかけて被害を軽減するためです。

だんだん捕獲効率も上がってきた矢先、南伊豆町役場から相談を受けました。「町で箱わなを購入して、町民に貸し出したい」。町内に被害が拡大して、自衛のために新規の狩猟免許取得者が増えていました。彼らに町が箱わなを貸し出すことで、さらに狩猟圧をかけようというのです。

実際に箱わなの貸し出しが始まると、利用者が急増。町単独で500万円もの予算が必要になり、さらに補正予算を組まなければ、報償金の支払いができなくなりました。そのため1頭1万円が7,000円になり、最終的に5,000円になりました。シカに報償金が支払われるようになるのは、まだ先のことです。

餌が豊富にある森林。

捕獲が楽しみから金儲けへ

伊豆半島南部のように、元々イノシシの多い地域では、シカは生息域を広げられず、森の中にいました。シカはもっぱら植物を食べます。そのため昔から「秋の紅葉で山を降り、春の新緑で山を上る」といわれていました。つまり食べ物を求めて移動するのです。ところが山の上のクマザサや木の樹皮などを食べ尽くすと、里へ降りてきて、木の実や下層に生えているアオキなど、豊富な食べ物を見つけます。木の実は里に棲むイノシシの好物でもあります。つまりシカはイノシシの好物まで食べ出したのです。

シカは反芻動物なので、食べ物にありつくと、同じ場所でモグモグと食べ続けます。最初に草や葉を口に入れて反芻し、第一の胃袋から口の中に戻し、それをすり潰してまた飲み込み、第二の胃袋に入れると、新たな食べ物を第一の胃袋に入れ、食事中はずっと歩き回ります。青い葉のある場所には、イノシシの隠れ家があったりします。そのためイノシシはシカを嫌い、静かな場所を求めるようになりました。

シカの好物アオキ。地元ではアオキバと呼んでいる。

被害を起こしたイノシシに報償金を支払う政策が始まったことで、問題が広がりました。この時点でもまだ捕獲したシカへの報償金はゼロだったのです。

シカによる被害が拡大したため、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」(鳥獣保護管理法、2002年成立)の改正が頻繁に行われていた時期で、それまで保護していたシカを、狩猟対象にしてよいのかという議論の真っ最中でした。当時はまだイノシシによる被害の方が大きかったのです。

1999(平成11)年の法改正で「特定鳥獣保護管理計画」が制定されました。これは、被害の拡大を防止するとともに鳥獣の個体の保護を計画的に行うことで、適正な個体数管理と生息数にするのが主旨です。そのため、各都道府県は5年単位くらいの計画を立てるようになりました。ここまでは「鳥獣保護管理法」を所管する環境省の取り組みです。

農林業への被害が拡大する中、農林水産省も2012(平成24)年に「鳥獣被害防止特措法」を改正。それまで有害鳥獣捕獲は各市町村単位で捕獲報償金を支出するか、猟友会員の手弁当で出動するかでしたが、以来、各市町村が「鳥獣被害防止計画」を作成し、国が被害拡大防止を支援するようになりました。その中に「捕獲報償金」がありました。

猟具として箱わななどが出はじめると、みんなお金の出るイノシシを、大量に捕まえるようになりました。成獣・幼獣問わず、一律1頭1万円出た時もありました。箱わなで子連れのイノシシを捕獲して、3頭入れば3万円。それまで趣味の領域だった猟師の営みが、金儲けの世界へ変わる転換期となったのです。

南伊豆町だけでなく、近隣市町も同様に報償金を支払うようになると、イノシシの生息域が縮小し、逆にシカが生息域を拡大していきました。すると元々シカがいなかった南伊豆地域の市町で、農作物への被害が広がっていったのです。

水場に集まるシカの足跡。複数頭で行動するので足跡が混み合う。

いつの間にか、どこの森にもシカがいる。そんな状態になってしまいましたが、それでもまだ地元の狩猟者は、まだシカの害とは気づきません。

なぜ、シカの害と気づかなかったのか。それは、自衛的にわな猟免許を取得した人が多く、足跡の見分け方やシカの習性がわかりません。そして、銃猟をするにも毎日山へ行くわけではなく、土日ハンターが主になり、巻狩りの基本である「見切り」や「たつま割」のできる狩猟者がいない。免許を所持していても、ペーパードライバーのようなハンターがほとんど……。中には長年銃猟をしていても、足跡の見極めができない土日ハンターも多いのです。

ここで狩猟特有の用語の説明をしましょう。

【見切り】動物の足跡から、どの山に行っているのか、いつその獣道を通ったのか、どこで、どんなものを、どれくらい食べたのかを見極め、その「寝場」の山を見極める作業です。

【たつま割】見切りで獲物のいる山を見極めたら、そこからどこに逃げるのか、どの獣道を辿るのかを予測して、勢子(せこ)以外の獲物に向けて狙撃する「たつま」を配置することです。

【勢子】犬とともに山の中で、獲物の寝ている寝場へ向かう人。一人前になるには、かなりの時間と努力、そしてセンスが必要です。

行政の担当者も森に入るわけではないので、原因がわかりません。この時点で報償金は出なかったので、誰もシカを捕獲しませんでした。

シカの食害により木の葉はほとんどない。奥の緑の部分はDear Line=シカ摂食行動線。

イノシシばかり捕まえる

そもそも冬の狩猟グループの捕獲対象はイノシシです。それは地元も他所から来るグループも一緒です。だから猟犬がシカを追ってきても撃たないし、捕獲もしない。その間シカは生息域を拡大し、生息数を増やしていきます。

農作物への被害がシカによるものとわかってきた2011(平成23)年、南伊豆町は、やっとシカに捕獲報償金をつけるようになりました。しかし、それでもシカの捕獲数は、年に数十頭程度しか伸びませんでした。

なぜならシカは、親子で行動するイノシシと違い、効率が悪いから。箱わなを使えば、イノシシは一度に数頭捕獲できるのですが、シカは同じ労力をかけても、一度に1頭しか捕まらないのです。現在、南伊豆町では、シカ1万円、イノシシは成獣7,000円、幼獣3,000円。シカの報償金をイノシシよりも高く設定して捕獲を推奨する自治体もありますが、それでもまだシカの捕獲数は伸び悩んでいます。

イノシシは本当にミミズを食べるのか

続いてイノシシについての話です。私の住む南伊豆でもそうですが、

「またイノシシが畑を掘った」

「イノシシが穴だらけにして困る」

そんな声をよく聞きます。そして誰もが口々に「またミミズを食べたな」と言います。30年以上狩猟を続け、毎年高い狩猟者登録税を納め、猟期はずっと山に入っていた私ですら、長い間イノシシはミミズを食べているのだと思っていました。

私は捕獲した動物を食べるために解体していますが、ある時イノシシの胃袋を開いて、ふと気づいたのです。

「あれ? 胃袋の中に、ミミズがいない。これはおかしい」

猪が鼻スコップで掘った跡。ミミズではなく草の根や昆虫などを捕食している。

以来、イノシシの掘った穴の中や、鼻で筋をつけた畑や畔のまわりを観察しました。そこにはミミズや昆虫、小動物の姿は見えませんでしたが、ある草の根を噛んだ跡がありました。「もしかしたら……」と思い、私は同じ草の根を食べてみました。私は、日頃から野生動物の食べ物はほぼ口にしているのです。

それはイラクサ。南伊豆では「オロ」と呼ばれています。その根を食べてみると、甘く、芋のような味がします。これを食べていたのか。いろいろ調べてみると、イノシシはでんぷん質が好物であることがわかりました。ミミズを食べているわけじゃない。里山を歩いていると、よくイノシシがクズの根を掘って食した痕跡があります。同じようにでんぷん質の豊富な草の根を掘って食べているんですね。

私はイノシシを解体する時、イノシシの胃袋を切って内容物を出した後、内壁を剥がして食べます。自然物しか食さない野生動物の胃袋は歯ごたえがあり、噛めば噛むほど旨味が出てきます。人間が飼育する畜産物と違い、抗生物質や配合飼料を食していないので、臭みもありません。イノシシの胃はひとつだけ。人と同じ構造をしている雑食動物なので、なんでも消化できます。

イノシシはシカを嫌っている?

自然環境の変化とともに、植生も変わり始めました。本来森には草木の層、低木の層があり、その上に亜高木の層があって林冠が形成されます。前述したように、伊豆半島では長い間シカは保護されていました。イノシシばかりが捕獲され、野放しになったシカによる食害が深刻化したことで、これはもう誰が見てもシカのせいだとわかってきました。これは捕獲しなければ。

やっとメスジカの有害鳥獣捕獲が認められたのは、1994(平成6)年のこと。それ以来、各都道府県で有害鳥獣としてのシカの捕獲が行われるようになりました。それまでの保護政策から一変。主にメスを捕獲することで、繁殖を抑制し、生息数を減らすことになったのです。

日本では、太古の昔からシカもイノシシも人間の食料として捕獲されていました。しかし、昭和に入り、個体数が激減し、狩猟対象から外され、ずっと保護されてきました。ところがそんなシカが、元々イノシシの生息地だった里山に出没するようになると、イノシシは山裾へ棲み家を求め始めます。本来イノシシはシカより強いはずなのですが、なぜかシカとの共存をあまり好まないようです。当のシカはそんなことはおかまいなしに生息域を拡大。そのためイノシシの食べ物である椎の実まで食べるようになりました。草も葉も木の皮も根も実も、なんでも食べるシカにとって、さぞご馳走だったことでしょう。

そんなある時、森で異変を見つけました。
シカが先に食べた場所の椎の実を、イノシシが食べなくなってしまったのです。それはなぜか? 私もイノシシの気持ちになって、いろいろ考えてみたのですが、その答えはいまだに出ていません。ひとついえることは、イノシシはシカを嫌っているということです。

里に出てきてイノシシ用の箱わなに入ったオスジカ。

イノシシの都合などおかまいなし。シカはどんどん森を食べ尽くしていきます。そこでイノシシにとって一番厄介なのは、シカが森を明るくしてしまうことです。草木や低木を喰い尽くして、高木の森にしてしまう。そうなるとイノシシは、草やクズの根から摂取していた好物のでんぷん質が摂れなくなってしまう。そんな時に里では過疎が進んで、主のいなくなった空き家や農地が広がり始めた。だからそこを新たな餌場としたのです。

シカは針葉樹から広葉樹の森へ

シカは本来非常に臆病な動物で、群れで行動し、集団で森の木の葉や樹皮を食べてしまいます。シカが来る前、森は針葉樹林でさえ、低木が生い茂っていました。広葉樹林はまるで誰かが整えたように、林冠を形成し、陰樹といわれるアクシバ、ツバキ、ヒイラギ、ヤマツツジ、アオキなどが繁茂していました。

昔、地元の人たちは、よく言ったものです。

「傘もさして歩けないほどボサだよ」

「ボサ」というのは、南伊豆の方言で「藪」のことですが、かつてはそれくらい薄暗く、緑の深い森でした。ところが最近では、そんな森もガラリと姿を変えました。

「この前までは、傘さして歩けたけど、今じゃビーチパラソルさして歩けるぞ」

それは木が丸裸にされ、すっからかんになった森をさしています。針葉樹の森も広葉樹の森も同じようになり、昔は木と木の間からせいぜい10m先ぐらいまでしか見えなかった森が、今では30mから50m先まで見通せるようになったのです。

下層植生がないので林の中で上をみると林冠しかない。その上は空になる。

針葉樹の森で長い間保護されていたシカは、生息数の増加に伴い、餌になる木の葉を求めて山を降り始め、国有林から山裾の民有林へと棲み家を変えました。それまで南伊豆や低い土地には姿を現さなかったシカが南伊豆へやってきたのは、17〜18年前のことです。それからものすごい勢いで生息域を拡大し、総面積110.6㎢の南伊豆町の、ほぼ全域に広がりました。

シカの出生直後の生存率は98%ととても高いのです。シカは初夏に出産しますが、妊娠期間は7ヵ月半ほど。牛と同じで胎児が母体内で発育し、ある程度自立が可能となった段階で体外に産み出される胎生です。そのため死産はほぼないといわれています。ただし、出生後半年〜1年後の生存率は、食べ物の状態や積雪などの気象条件によって変わるので、その時期の生存率については未だ未知数です。

伊豆半島のように温暖で、冬もほぼ雪は降らず、降っても積もらないため、摂食可能な地域では、冬の死亡率は低いと考えられます。そのため狩猟期間後に登録狩猟者に配布される「出猟カレンダー」に掲載されている「捕獲・目撃情報調査」を見ると、毎年度シカの生息数が上昇しているのがわかります。

ただしシカは、一度の出産で1頭しか子どもを産みません。イノシシのように6頭前後産んで生存率は67%。最終的に2〜3頭育てるのとは、訳が違います。

適度に間伐をされた針葉樹の林。

南伊豆の森は、2割が針葉樹、8割が広葉樹の森です。人の手が入らず暗い針葉樹の森よりも、冬になると落葉して森の中に光が射し込む広葉樹の森の方がずっと楽に餌を探せる。それがまた、シカたちが生息域を広げた原因です。そこには群れが充分に食べる量の餌がありますし、里近くには、彼らの大好きなやわらかい草も繁茂しています。

昔、南伊豆や近隣の農村では、農耕用に牛を飼っていました。その頃から家畜の餌として「アオキ」をよく使っていました。地元では「アオキバ」と呼びますが、同じ名前の樹木があるので、ここでは「アオキ」と呼ぶことにします。

南伊豆では森に入ると、そのアオキがたくさんあります。この植物には、草食動物の好む鉄分などが豊富に含まれているので、シカには過ごしやすいのかもしれません。

シカは神の使いか、害獣か

シカは草食動物なので、牛と同じように胃袋が4つあります。焼肉屋に行くと出てくる、牛のミノ、ハチノス、センマイ、ギアラといったところ。見た目はシカも一緒です。

シカの食事はとても上品です。まず日当たりのいい道端に生えるやわらかい草を食べます。その理由はいろいろありますが、私が観察したところ、それは消化に関係あるようです。

シカは反芻動物です。しかもシカの成獣が1日に食べる量は、生葉で5〜6kg。これを咀嚼して寝床に入る頃、第一胃の中で1.5kgになっています。

シカの第一胃はとても大きく、同じものを食べていないと、消化のスピードが変わってしまいます。第3胃、第4胃の内容物を順調に消化するには、各胃の消化スピードが違うと、都合が悪いのです。そのためにやわらかい草を食べますし、同じ植物を1週間ほどかけて、たて続けに食べます。それがシカの食害へとつながるのです。

太宰府天満宮のシカの銅像。

奈良の春日大社では、シカを神獣として保護しています。同じようにシカを「神の使い」として崇めている地域は少なくありません。そんな奈良県ですら、食害が後を絶たず、保護動物であるはずのシカを、地域を限定した上で狩猟対象に指定しました。その境界にある地域での揉め事は尽きないようです。

「神の使い」であるはずのシカが、ここまで増え、被害が拡大して「害獣」と呼ばれるようになったのは、シカ自身のせいなのか? それとも人間の愚かさが招いた事態なのでしょうか? 被害が出ている以上、誰かがシカを捕獲しなければなりません。

それはお金のためなのか。それとも地域を守るためなのか。狩猟者はなぜ、狩猟免許を取得して、野生獣の命をいただくのか。改めて考えなければいけない時代なのだと思います。

プロフィール

くろだ・ときお
1965年静岡県生まれ。小学4年生の時から、猟師の父の後について山を歩く。
21歳で狩猟免許、猟銃所持許可を取得して以来、狩猟期間は猟を続ける。南伊豆の山を知りつくす猟師であると同時に、稲作や林業、しいたけ栽培の経験も持つ。野生獣の管理や活用に留まらず、それを囲む森と里、海のつながりまでを視野に入れ、活動を続ける。2015 年7月株式会社森守を設立。現在は病気療養を続けながら、森林資源の活用、耕作放棄地の再生、狩猟者や加工処理の人材育成、自然を活用したエコツーリズム等、幅広く活動中。農林水産省が任命する農作物被害対策アドバイザー、南伊豆町町会議員。

文・写真/(株)森守 代表取締役社長 黒田利貴男
構成/三好かやの

 

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