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震災と洪水を乗り越えたサトイモ「長兵衛」の底力

公開日:2020.12.25
白石さんとサトイモの「長兵衛」。

いわきのサトイモ「長兵衛」

11月2日、福島県の沿岸部に位置するいわき市小川町でサトイモを栽培している白石長利さん(39歳)の畑を訪ねました。そのサトイモの名は「長兵衛」。産地や品種名ではなく、まるでむかし話の主人公のような名前がついているのは、なぜでしょう?

「代々庄屋を務めていた白石家の男には、『長』の字がつきます。『長兵衛』というのは、私の祖父の名前です」

昭和生まれの白石さんは22歳で就農し、キャベツやブロッコリーなどの野菜と米を栽培しています。白石家で受け継がれてきたサトイモは、長利さんのおじいさんが他界された後も「長兵衛さん」と呼ばれています。

平成23年に東日本大震災、令和に入った昨年10月の台風19号による豪雨では、近くを流れる夏井川の堤防が決壊。白石さんの農地は洪水に襲われ浸水。「大人の背丈くらいの」水の底に沈んでしまいました。

あの大水害から1年。白石さんと「長兵衛」は、どうしているのでしょう?

水害から1年。収穫を迎えた「長兵衛」。

水田の潅水設備で水分調整

白石さんは、どこにいても目立つ赤い作業着が目印。燃えるような真っ赤な軽トラを飛ばして、サトイモ畑に現れました。軽トラから降り立つと、いきなり包丁を片手に枯れかかったサトイモの茎と葉を、バッサバッサと刈りはじめます。ちょっと怖い感じもしますが、なぜ鎌ではなく、包丁なのでしょう?

「茎を細かく切って、断面の表面積を増やすことで、分解しやすくなって、そのまま土に戻ります。掘ったサトイモを調製する時もそのまま使うので、包丁のほうがいい」

収穫用の圃場は10a。元は水田だった場所で、収量は約1.2t。収穫はすべて手掘りで行っています。かつて定期的に適度な降雨があった頃は、特に潅水の必要はなかったそうですが、近年は予期せぬ猛暑と豪雨に襲われることが多く、降雨だけに頼るわけにはいかないそうです。

「今年は梅雨が長かったので水は入れませんでした。逆に夏場の雨が降らなかった時期は、側溝から水を入れていました」

こうして水田の潅水設備を利用して水分をコントロール。地中では今年も見事にイモたちが育っています。

種イモにきつい環境を覚え込ませる

白石さんにはもう一つ、種イモ専用の畑があります。そこは元から畑だった場所で、潅水は一切行っていません。なので、ここでできるイモは水田で育つものより小さくなりますが、それでも水を与えないのには、わけがあります。

「種場では雨だけで自然栽培。雨がない年はないなりに、きつい環境をイモに覚え込ませるんです。厳しい環境で育てた種を、田んぼの圃場で育てると、喜んで水を吸ってぐんぐん大きくなります。だから収穫用の圃場の株は、種場の1.5倍ぐらいの大きさに育ちます」

茎葉を刈り取った株を、スコップ一本で掘り起こすと、白根に覆われた見事な地下茎のかたまりが現れました。白石さんがこれを頭上に持ち上げ、そのまま地面に叩きつけると、つながり合っていた小さなイモが、衝撃でバラバラに。イモとイモの間から、ミミズが現れました。

「イモの根に近い場所で、ミミズが有機物や微生物を食べてフンをすることで、養分を供給してくれます」

川の氾濫が、ミネラルを運ぶ

白石さんの圃場のある小川町一帯は、昔から夏井川の氾濫が多く、土砂が農地に流れ込んでいました。それは大きな被害をもたらすと同時に、豊富なミネラル分を運んできました。

そんなエリアにある白石家は、土地が肥沃なこともあり、肥料や農薬の量は少なくてすんでいたそうです。

白石さんのお父さんが、農薬や化学肥料を使用しない農法を提案する(一社)MOA自然農法文化事業団(以下MOA)で、循環型の自然農法を学び始めたのは、長利さんがまだ小学生の時。地元の磐城農業高校を卒業し、東京の多摩市にあった農業者大学校へ進学する頃には「野菜は完全に無農薬、無化学肥料でいこう」と方針を決めました。

MOAでは、農法の創始者岡田茂吉の提唱した理念に基づいて、独自のガイドラインを定めています。

それはまた有機JASの基準とも異なり、使える資材や肥料も限られた厳しい内容です。白石家では長利さんが農業者大学校を卒業して、本格的に就農する年を目指して基準をクリア。農薬や化学肥料を使わず、周囲の環境を循環させて作物を育てる栽培方法を実践してきました。

「何年かに一度の洪水がもたらす土砂とそこに含まれるミネラル分を生かす。わが家では、それを“ナイル川農法”と呼んでいました。ところが今回、本当に川が氾濫してしまった」

地中から掘り上げたかたまりをほぐすと……
イモの間からミミズが現れた。

2日半水に浸かっても大丈夫

白石さんが覚えている洪水は、平成元(1989)年。それから30年後の昨年10月、大型台風による洪水が起こりました。

★トラクタを囲ったハウスの天井まで浸水。「長兵衛」はからくも無事だった。

こちらは昨年11月10日の白石さんの畑の様子。水田や畑は2m近い水の底に沈みました。当時は写真左側のトラクタを覆ったパイプハウスの屋根まで水没したそうです。

水が引いた圃場では、ブロッコリーやキャベツの小さな苗が、泥にまみれ、立ち枯れていました。ところがサトイモが並ぶ畝だけは別でした。

「通常の台風の時は、浸水してもせいぜい1日で水が引いていきました。ところが今回長兵衛さんは、丸2日半、水の中に入っていました。それでも無事で、枯れかかっていた葉が緑色になっていた」

その後、無事収穫を迎えた「長兵衛さん」。水害への強さを見せつけてくれました。

地中で休眠中、原発被害を逃れる

実は「長兵衛」のピンチは、この時だけではありません。2011年3月の東日本大震災で原発事故が起きた直後、いわき市の放射線量は低かったにもかかわらず、白石さんは畑に植えつけていたキャベツやブロッコリーを、すべて廃棄処分しなければなりませんでした。

かたやサトイモの「長兵衛」は、春の植えつけを前に、土中に掘った深さ2mの穴の中で休眠中。原発事故の難を逃れて植えつけられ、秋には無事収穫を迎えました。そして昨年の豪雨で60時間水没した時も、土中でしっかり生き抜きました。

★60時間水没しても、生き続けた「長兵衛」。

かつて白石さんにとって、このサトイモは「じいちゃんと作っていたフツーのイモ」でしたが、震災が起きて改めてその存在の大切さを再認識。いわきで活躍するフランス料理の萩春朋シェフに「このイモには、ちゃんと名前をつけた方がいい」とアドバイスを受け、祖父の名である「長兵衛」と呼ぶようになりました。

その後、いわき市で始まった「昔野菜」の発掘プロジェクトで着目され、被災地応援のためにやってきた料理人たちが「このサトイモは大きくてキメが細かい」と、どんどん料理に採用するうちに、「長兵衛」は広く知られていきました。

2019年11月10日、郡山市の(株)孫の手が主催する「フードキャンプ」というイベントが開催されました。それはキッチンカーで現場に乗り付け、腕自慢のシェフが地元の農産物を料理する試みです。

実は水害が起きる前から予定されていたのですが、被災して間もない大変な時期だったこともあり、一時は開催が危ぶまれました。しかし、白石さんは予定通りに敢行して、水害を受けた畑で参加者とイモを掘りました。

お皿の上には、掘りたてのホヤホヤ。1時間前にはまだ土のなかにいたサトイモが、コロリと1個現れました。

「ぜひ、皮ごと召し上がって下さい」

★2019年11月のフードキャンプ。掘り立て・蒸し立ての「長兵衛」がご馳走に。

確かに掘り立ての「長兵衛」は、皮が薄く、蒸しただけでホックホク。

「こんなサトイモ、食べたことない!」

と参加者の間から、オドロキの声が上がっていました。

洪水は土を浄化する

昨年11月、洪水の被害が生々しく残るサトイモ畑の表面は、川の水が運んだ泥が堆積し、乾き、ひび割れていました。周りでまだ泥出しの作業や復旧工事が続くなか、白石さんは言いました。

「われわれ人間にとって、洪水は大きな痛手ですが、自然にとってこれは通常業務。決して悪いことばかりじゃない」

水害を受けながらも、白石さんが期待したのは、水没による浄化作用。土がリセットされるのです。そしてまた、上流から川がもたらすミネラル分も補給されました。

「土は変わりましたね。洪水が運んだ土砂は野菜にもいい。ついでに草にもいい」

★洪水が去った後の圃場には、土砂が堆積。固まってひび割れていた。

ただし、水害を受けてから半年の間、白石さんはひたすらロータリで何度も圃場を深耕し、元からあった土と、上に乗った泥をかき混ぜ混和させていました。その目的は、土壌のバランスを整えることにあります。

洪水はまた、土壌病害につながる雑菌も運んできます。実際に洪水の後、十分に混和させないまま苗を植えつけた人の圃場では、ブロッコリーが黒く腐ってしまう現象も起きていました。早く苗を植え替えて売り上げにつなげたいと焦る気持ちもありましたが、白石さんは有効菌が雑菌に打ち勝つように、ひたすら耕し続けました。

洪水後、最初に植えつけたサトイモは、追肥なしで十分生長した。

例年は、株の生長度合いを見定めながら、魚エキスと米ヌカが主成分で「猫のエサのような臭い」がする「バイオノ有機」という粒状の有機質肥料を追肥として与えていますが、白石さんは「今年は土壌中に養分は十分にある」と判断。追肥なしで立派に育ちました。

サトイモのハイブリッド養液栽培?

そんなサトイモ畑の近くでは、大規模な土木工事が進んでいました。圃場の地面に頑強な土台が築かれ、総面積20a。頑強な鉄骨ハウスを建設中。来年春から植えつけを目指しています。いったい何ができるのでしょう?

来年春に向け、鉄骨ハウスを建設中。

「ここにバラエティ野菜畑を作ろう! 誰もが栽培を体験できる観光農園に。そして農業をやりたい若者が集まるトレーニング施設も兼ねています」

震災と水害、ふたつの災害に見舞われたいわき市が、農業の再生を目指して補助金を投じて作り上げる新しい施設でもあります。そこで行われるのは最新技術を取り入れた養液栽培。これまで誰も手がけていない「ハイブリッド自然農法」を目指します。

新しいハウスではトマトやナスなど、夏野菜も栽培しますが、バケツのような大型ポットにヤシ殻を入れ、サトイモの養液栽培にも挑戦する予定。

「バケツごと観賞用に販売してもいいですし、お客さんが育てたイモを自分でバラしたり。遊び心があっていい」

掘り上げたイモをバラし、白根を取るのも手作業。

掘り上げたサトイモの白い根を外しながら、白石さんは語ります。

「掘り上げたイモをバラして、根っこを外すのは、亡くなったじいちゃんの仕事でした」

サトイモ作りは手作業が多く、若者が掘り上げたイモを、年寄りや女性が白根を外して調製する。そんな役割分担がありました。

「高齢になって施設に入っているけれど、まだまだ手先が動く人に来てもらって、根っこを取ってもらいたい。デイサービスの一環ですね」

また、震災後の復興支援や「長兵衛」を通じて出会った都会の人たちが、いつでも訪ねて来られる場所に。これからの自然災害や感染症と共存しながら生きていくなかで、都市住民には地方で栽培に従事している「友だち農家」が必要と考える白石さん。新たに建設されるハウスは栽培拠点であると同時に、そんな仲間たちの集合拠点も目指しています。

震災から10年。最強ないわきの仲間たち

震災からもうすぐ10年。被災した当時から、業種を超えて地元の仲間たちとつながり合い、いわきの再生を目指してきました。そこには最新鋭の園芸設備でトマトを作り続ける「ワンダーファーム」や、地元飲食店のシェフたちもいます。

震災の時は、被害が広範囲に及んだため、なかなか支援に回れなかった人も、昨年起きた水害は局地的だったので、一斉に支援に向けて動いてくれました。

「水害が起きた時、この9年で培ってきたチームは最強だと思いましたね」

そのチームのなかで洪水の被害を受けた店がありました。それは川向こうの「華正樓」。

白石さんはじめ、地元生産者の素材を使った中華料理が人気でしたが、昨年の水害で大きく被災。店主の吉野康平さんは、自分の店を片付けながら、炊き出しで周囲の住民を励まし続け、お店を再建しました。

ここでは「長兵衛」を使った「里芋麻婆豆腐」が人気。2人のつながりから生まれたメニューです。

いわきの華正樓では、素揚げのサトイモを使った麻婆豆腐が人気。

掘り立ての「長兵衛」の表面を、白石さんが手袋をはめた指でさっとこすると、すーっと皮がむけていきます。

「化成肥料を使わずに作ったサトイモは、なぜか皮が薄いんです」

堀りたての「長兵衛」。表面をこすると、するりと皮がむけていく。

栽培法や種の育成に工夫を凝らせば、まだまだおいしいサトイモができるはず。また、長兵衛のように優れた品種や系統を残していこうと、地方の生産者の仲間たちと、「サトイモネットワーク」を結んでいます。

被災した生産者を救うのは、適地適作のすぐれた農産物と土。そして、ピンチの時は互いに支え合う仲間たち。白石さんと「長兵衛」が辿ったこの10年が、それを物語っています。

真っ赤な作業着と軽トラがトレードマーク。

 

取材・文/三好かやの 撮影/杉村秀樹(★は三好撮影)

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